子どもと”死”について考えてみる

みなさん子どもの頃の悩み事
覚えいていますか?

 

私は少し変な子だったので
例えば朝起きて、
誰かの人ではなく、

やっぱり自分であると確認すると
「あ~。今日もかなえはかなえなんだな・・」と
不思議な感覚を覚えていました。

しかしそんなくだらない話を
母に相談することもなく
ただおぼろげに”人間は死ぬとどうなるんだろうな”と
考えていた不思議な子どもでした。

「人間って死んだらどうなってしまうのだろう・・・」

はじめて死と向き合ったのは
小学校1年生の時祖父が亡くなったことがきっかけでした。

動かない祖父を見て
「おじいちゃん・・動かないな。
おじいちゃんの魂はどこへ行ったのかな
どこかに消えてしまうのかな」
と不思議に思ったのでした。

とはいっても、
そんなに深刻に考えていたこともなく
日常生活をすごしていたのですが

 

人って死ぬんだな・・・
自分が死んだらどうなるんだろうな~
と、おぼろげに疑問に思っていました。

 

これは私がちょっと変わった子ども
だったのかと感じていたのですが、
先日開催した講座でこんな統計を
ご紹介した時にふと思い出しました。

教室の講座で10歳の壁を考えるというテーマで
会員向けの講座をオンラインでさせていただいた時、

その講座で

”小学生の悩み”にという内容がありました。

 

統計ですから、
若干発信元により違っていますが、
だいたい内容はどこも共通していした。

それがこちらになります。

なるほど~!
小学生っぽい悩みもあるけれど
やはり”死について”なんらかの形で
一人で考えているのだな・・と

改めて考えさせられたのでした。

”死ぬ”って禁忌ワード?

”死は禁断の言葉で
禁忌ワードになりますか?

「死ね」と簡単に言葉を出す今の子供たち。

でも、死についてあまり向き合えていないような気がします。

むやみに”死”という言葉を出すのは
かえって刺激的になってしまったり
触れてしまうことで
どこか別の方向に行ってしまうような・・・
そんな不安さえ思いますね。

 

しかし家庭で何かのタイミングがあれば
是非「向き合う」ことを親とすることは
大事なような気がします。

例えば身近な人が亡くなった時です。

私は子どもたちがその亡骸を怖がって
近寄らない場面を見たことがあります。
怖い怖いと、兄弟二人で怯え、
まともに故人との最後のさようならを言えない場面がありました。

その兄弟からしたら
その亡骸は優しい大好きなおばあちゃんでした。

私はその親ではなかったので
もちろん何もできませんでしたが、
ちょっとした違和感を感じました。
”死”をどう向き合うかで
”生きる”ことと向き合う事を知る

賛否両論かもしれませんが、
私は”死”と向き合う事は
健全にその時間を持つことがとても大事だと思います。

むやみに話すことではないと思います。

けれど、
家族・親戚など、大事な人の”死”から
”生きる大切さや
”命の重さ”と向き合う事もできるからです。

少なくても
”命が消えた亡骸”を怖がるという行為は
その人が歩んだ最後の門出を
見送る大事な時間でもあります。

とても心が痛い光景でした。

またこの話題は
続きを書いていこうと思います。

”子供たち、そして大人の私達も与えられた命”を
大切に、そしてこの世に産まれて良かった!

そんな生きる喜びを感じて
毎日を過ごしていきましょうね。

 

夢をkanaeる
くきたかなえでした♥

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